INTERVIEW

インタビュー:Daichi (アカウントマネージャー)

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サッカーに明け暮れた少年時代

私は北海道の札幌市近郊の街で生まれ育ちました。小学校二年生からサッカーをずっとやっています。ある日、学校のグランドの近くを通りかかったら、何人かサッカーをやっていました。なんとなく面白そうだなーと見ていたら、ちょうど自分のところにボールが飛んできたんです。ころころころって。そのボールを蹴ったときに、あ!面白い!って思って、サッカーチームに入ることを決めました。

それからはサッカークラブチームに入って毎日サッカーの練習や試合に明け暮れていました。中学校に入っても、サッカー部にはいって毎日全国大会を目指しながら最高のメンバーに囲まれて楽しんでいました。

高校に上がったあとは、学校のサッカー部では物足りないものを感じて、学校外のクラブチームに入ることに決めました。実はそのサッカークラブで、アクティブコネクターで今一緒に頑張っている朝日にも出会ったんですが。

正直、高校時代は、一回全治一ヶ月の怪我をしたとき以外は、ずっとサッカーだけしかしてなくて、勉強はした記憶がほとんどないですね。一応テストの前日くらいは徹夜をして勉強をしましたが、勉強の意味がわからない、数学とか理科を勉強して将来に何になるのか、という思いがありました。

サッカー以外の何かを探して模索する毎日

高校三年生になってクラブチームを卒業したときに、ふと、周りがどんどん動き出していることに気づきました。周りでは、東京の大学にいく友人、美容師を目指す人、一気に周りが未来に向かって進んでいました。一方、自分はサッカーが好きだけど、サッカー選手になるわけでもない、勉強で頑張りたいわけでもない、特に将来の明確な目的もなかったんです。そういう自分の不安や焦りに向き合わないように、かっこよく言えば「今」を生きていましたね。バイクの免許をとってバイクのツーリングをしたり、GAPの店員をしたり、カラオケ店でバイトしたり、クロネコヤマトとかパン工場等、ビラ配り・・・とはいっても、バイトに情熱を傾けていたというわけではなくて、面倒になったらやめようとすぐ思ったり、自分がサッカーの時のように打ち込めるものがなくなって、サッカーの情熱が途切れた毎日にもがいていたという感じでした。

大学3年になって、自分はバイト先のGAPから話がきていたので、そのまま入社しようと思っていました。その思いにとくに疑問も持たずにそのまま大学の卒業が目前になった時に、ふと毎日が同じだ、と気づき、これからの将来もこの毎日の延長なのかな、と思い恐ろしくなりました。毎日会う人も毎回同じ人、職場でもやることが毎日同じ。今もこれからも同じ。あれ、これって全然面白くないじゃないか、と。

ちょうどそんな時、バイト先のGAPのマネージャーに自分の悩みを話したら、さらっと「海外行けばいいじゃん」というアドバイスをされました。もともと、アメリカの映画とか文化が好きだったし、気づいたら「じゃあ、いっちゃいます!!来月バイト辞めます」と答えている自分がいました。先輩にも背中を押されるように、就職はやめて、もうアメリカ一本という感じになりました。サッカーの情熱が途切れてから初めて、自分のエネルギーの行き所を見つけた感じでしたね。

そこからは、もうすべてが勢いで進んでいった感じで、その時の英会話の先生がアイオワ出身だったということで、自分でビザ申請をしたりしてアイオワの大学を受験してアイオワに飛んでいました。

アメリカで広がった世界

高校のサッカークラブで出会った朝日と

高校のサッカークラブで出会った朝日と

今でも初めてアメリカの地におりたって、アイオワの空港から車に乗って見たアメリカの壮大な景色に感動したことを覚えています。

アイオワではホームステイだったのですが、そこでは90歳のおばあさんとの二人暮らしで、朝5時に朝ごはん、夕飯は6:00、9:00が門限等、今までの日本とは全く違ったのですが、「これが異文化なんだ」と理解しよう頑張りました。今考えれば異文化とはまったく関係無く、ただ単に厳しいお婆さんでした笑 大学では日本人もほとんどおらず、授業の場所もよくわからない、授業料の払い方も何もわからず本当に試行錯誤だったのですが、でもそういうチャレンジはワクワクしました。自分の世界が日々ガンガン広がっている感覚でしたね。

そうやって1年を過ごした後に、カリフォルニアに行ってみたいという思いがふつふつと湧いてきました。そこで、アイオワの大学からカリフォルニアの大学に編入しました。
カリフォルニアの大学で再スタートした時には、もう英語もできているというのもあって色々と挑戦できたのも楽しかったです。例えば、スモールビジネスをしたりもしました。たまたまクラスの隣のアメリカ人の女の子が日本の草履がクールっていっていたのをきいて、こんなのだったら自分で作れるじゃないかって、YouTubeで作り方を勉強して、学校のキャンパスにあるストリートフェアで、自分が作った草履を売ったりしました。結構工夫して、アメリカとかメキシコの国旗をいれてみたり。これが結構人気で、毎週平均して10足くらいうれましたね。そうやって自分で稼いだお金で、ご飯が食べれるというのは、すごい気持ちが良かったです。

出来るところまで挑戦をしてみる!

カリフォルニアの大学では、とにかく努力しました。多分サッカー以外でここまで頑張ったのは、この時期だったかな、と思います。勉強では基本Aを

グローバル人材活用セミナーにて

グローバル人材活用セミナーにて

とるように必死に勉強したり、色々な人に会えるのも今しかない!と思って、自分がどんなに眠かったり大変でも友達からのパーティーの誘いは絶対断りませんでした。

そうして就職の時期になったときには、自分の優先順位はとにかくアメリカで挑戦すること。そういう思いがあるときに出会った方とのご縁で、アメリカにある日系大手人材会社に入社することになりました。本当はカリフォルニアが大好きだったのですが、勤務先はシカゴとなり、内定をもらってから2週間後にシカゴに飛びました。

最初はわからないことだらけでした。名刺はどうやって渡すのか、メールはどう書くのか、とかそういうことからも大変でしたが、ビジネスって楽しいなって日々思っていました。人材業界も初めてでしたが、色々な人に会えて楽しかったですし、この会社の上司や先輩方に教わったことが今現在の自分のベースになっていると思います。最終的にビザの更新の際に申請で落ちてしまったのですが、それまでアメリカで自分は頑張り切ったという達成感がありました。

次の挑戦は日本から世界を変えること

チームのウェルカムパーティーで美味しいピザ屋さんに行った時

チームのウェルカムパーティーで美味しいピザ屋さんに行った時

日本での仕事を考えるときに、高校からの友人の朝日がアクティブコネクターで頑張っているということを、思い出しました。同じ人材業界だけど今まで自分が働いた大企業とは違うベンチャー。朝日の話をきいていて、アクティブコネクターの新しいやりかたや、楽しくやっているということをきいて、そういう会社もあるんだな、と思って刺激をうけました。いつか一緒にビジネスを立ち上げたいと言っていた朝日とだったら、面白いことができると思って入りました。

アクティブコネクターでは、まだ社員が少なくて、初期メンバーとして会社を大きくできること、日本社会に新しいはたらき方を作り上げていくことができる、ということにやりがいを感じています。

自分はサッカー部でも副キャプテンをやっていた経験もあって、会社の中では、新しいメンバーを支え、多様なバックグラウンド・個性をもつ一人一人が気持ち良く働けるような環境を作っていけるように頑張っています。

私は月曜日がいつも楽しみです。毎日会社に来ることにワクワクします。基本的には自由に仕事をさせて頂ける環境なので自分らしく好きに働いています。そんな思いを、アクティブコネクターのみんなが持てるよう、また、アクティブコネクターがサポートする企業・留学生みんなが持てるよう、自分の能力を最大限生かしていきたいと思っています。

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