INTERVIEW

インタビュー:Kyoko (キャリア開発オフィサー)

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小学生のとき、初めての異文化との出会いから大学まで

最初に外国の人と出会ったのは、小学校5年生のときです。子供会のドッチボールをしていた公園の隣のアパートに、たくさんマレーシアからきた方々が住んでいました。私はちょうど英会話を習い始めていたので、公園でマレーシアの方と出会ったときに、拙い英語ではありましたが、一生懸命英語で話しかけました。そのときに、英語で異国・異文化の人とお話をするのって面白い!と思ったのを覚えています。

英語への思いがあったため、高校を選ぶときには、英語科の高校に行きました。その高校に入るときに、始めて海外に行く機会がありました。短期交換留学にオーストラリアに2週間いきました。オーストラリアについたその日に、ホストファミリーの結婚式に招待してもらってそのオープンさに感動しました。

大学では、英語に加えて何かできないかな、と思い、社会学に進みました。

トルコの遊牧民を訪ねて

大学は、海外研修制度というシステムがあり、3年生の夏休みに自分でテーマを設定して、大学に認証されれば奨学金をもらって海外研修にいけるというのがありました。私は、その制度を利用して、トルコに飛びました。トルコではトルコの遊牧民で絨毯をつくっている方々の話を聞いたり、自分が今まで生きてきた世界とは全く違う世界を体験する貴重な機会でした。

トルコで右も左もわからないような私に、現地の色々な方々が、とても親身に助けてくださり、とにかく研修では色々な人にお世話になったという印象があります。

例えば、バス乗り場とかもわからず、オロオロとしていると、人が話しかけてくれて助けてくれたり。あとは、町歩きをしていたら、そこの八百屋さんの男の子が声をかけてくれて、ご自宅でのご飯に招待をしてくれたり。そういうことが毎日本当に次から次へとあって。英語が通じないことが大半で、言葉はトルコ語だったのではあったのですが、片言の英語や、ボディーランゲージで話したりして、言語・文化を超えた、色々な人との交流って、素敵だな、と実感をした日々でした。

トルコでの毎日がとても楽しかったため、帰国後も色々な国をバックパッカーとして回りました。一人、大きなバックパックを担いで、タイや、韓国に行ったり。世界で色々な人に出会うたびに、自分の世界が広がってくようで、ワクワクしました。

就職活動をせずに、オーストラリアに!

wing-plane-flying-airplane-62623大学4年生になると、みんな就職活動を始めるのですが、私はトルコでの体験や海外旅行の体験があり、このまま日本で就職するのはいやだな、という気持ちを抑えられませんでした。

誰にも相談せずに、自分がオーストラリアにワーキングホリデーにいこうと決意しました。とはいっても、親は大反対でした。普通に就職してほしいという思いがあったみたいです。
親には自分の思いを書いた手紙を送ったり、何とか最終的には納得してもらいました。とはいっても、援助はしてくれないということだったので、ワーキングホリでーの資金稼ぎのために、大学四年生のときには、ひたすらアルバイトをしていました。
朝はコーヒーショップ、学校の授業が終わったら電話のオペレーターをやったり、とにかくアルバイトに明け暮れ、その甲斐あって何とかワーキングホリデーに行く資金を集めることができました。

オーストラリアの地に降り立ったときには、まだそれからの1年間何をするのかは明確に決まっていませんでした。ただ色々なご縁があり、日本語のボランティアアシスタントをさせていただくご縁をいただきました。

日本語教師としての講座を受けて、地元の小学校で1学期間、アシスタントをさせていただきました。子供達の日本語がすぐに流暢になるわけではなかったものの、折り紙を教えたり、日本語の歌を教えたり、毎日子供達が新しいことを習得していくというのを見られることに喜びを感じました。何より、生徒の中で日本語の授業をきっかけに、将来日本に行きたいという思いを持ってくれる子供がいたことに、感動しました。

日本語教師のキャリアに進む

1年間のワーキングホリデーを終えて、日本に帰ってきて、いざ就職となったときに、オーストラリアでの日本語教師の経験が面白かったのと、現地の人にお世話になったので、今度は自分が何か海外の人の役に立ちたいという思いがあり、フィリピン人の研修生を日本で受け入れる団体に就職をしました。

アクティブコネクターチームメンバーでのPizza Partyの様子

アクティブコネクターチームメンバーでのPizza Partyの様子

そこでは、技術研修で、日本にきたばかりのフィリピンの方々に、泊まり込みで日本語や日本の習慣などを教えていました。その後、もっと体系的にしっかりと日本語を教えられるようになろうと思い、日本語教師の養成講座にはいりました。講座は半年間受けて資格と取得したのち、日本語教師としてのキャリアをスタートしました。フリーランスのような形で働いていたのですが、ご縁があり香港での日本語教師の仕事があるというお話をいただき、トントン拍子で、そちらで働くことが決まっていきました。

香港は、日本語を勉強している人たち向けのイベントを企画・実施したり、日本文化を紹介するイベントを提供したりしました。香港には1年くらいいて、契約満期で日本に戻りました。その後日本では、またフリーランス的な形で、日本語教師として働いたのち、フィリピンとのご縁がありました。
最初は日本でフィリピン人の研修生や看護師の方々のサポートをする、というお仕事をしていたのですが、結婚を機に夫がフィリピンに行くということで、私もフィリピンについていくことになりました。そんな中、今度はフィリピンでのお仕事の話が舞い込んできて、今度はフィリピンに行くことになりました。

フィリピンでは、日系IT企業で、現地のフィリピン人の社員の方々に日本語を教えるお仕事をしました。フィリピンは本当に自分の性格とも合ったし、ずっといてもいいな、とも思ったくらいだったのですが、ちょうど妊娠が発覚したのと、夫の帰国が決まったことを、日本に戻ってくることになりました。帰国をしてすぐに子供を産みました。

子育てと仕事を両立する

子供が生まれてから、1年半、子供と時間を密に過ごしました。子供が可愛いという思いはもちろんありましたが、自分で時間をコントロールできなくなったり、子供の要求に応えたりする必要があったりと、自分のやりたいと思うことがあまりできないなという思いが、ふつふつと溜まってきました。また家にずっといるとストレスになるという思いもあり、子供の保育園が決まったタイミングで就職活動を始めました。

IMG_3023そこで、自分の今までの経験を何らかの形で生かせること、英語を使いたいと思っていたら、たまたまアクエィブコネクターでの出会いがありました。外国人留学生の支援をしている会社であれば自分も貢献できるのではと思ったのと、アクティブコネクターで働いている人たちも色々なバックグラウンドの人がいて、面白いなと思いました。

今はアクティブコネクターでは、面談をしている留学生の日本語のサポートや、就職前・後のサポートをすることを中心に取り組んでいます。毎日色々な国の留学生と出会えたり、一人一人の可能性を伸ばしていくことに関われることに幸せを感じます。サポートしている留学生が、面談に進み、仕事が決まってというのを見ると、一人の人生が変わったというのに立ち会えたという思いがあり、そういう経験をとても貴重に感じます。

今後は、今までの日本語教師としての経験も生かして、会社で色々なサポートサービスを立ち上げていけたらいいなと思っています。例えば、外国人候補者の方々の中には、日本語が上手でも、普段使っていないがゆえに日本語に自信がなくて一歩踏み出せないという人がいます。そのような人たちが、自信をつけられるような場所を作れたらいいな、と思います。

これからは子育ても楽しみながら、自分らしく会社で新しい価値を作り上げていきたいと思っています。

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