INTERVIEW

インタビュー:Masa (アカウントマネージャー)

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公務員が当たり前と教えられる環境の中で

私は北海道の村出身で、田舎で生まれ育ちました。両親が小学校で公務員としてはたらいていて、姉も教師だったりして、自分は家族からずっと小学校で公務員としてはたらくことが幸せになることだと言い聞かされていました。北海道という場所は保守的で、そもそもビジネスもあまり活発でない場所なんですね。

ただ私自身は、教師、安定した公務員がいい、ということにずっと疑問を持っていました。私は、学校とか、広く言うと日本の教育に対してずっと疑問をもっていました。日本の教育ではいつも「一つの正しい答えがある」、そしてそれにはまらないと、必ず批判されて「だめな人」というレッテルがはられる。そういう画一的なところがとっても嫌でした。そんな中、先生のいうことや学校の勉強に対して、とにかく反抗していて、学校では問題児。先生からも自分の意見を否定されてばかりだったのもあり、教師には絶対なりたくないというのがありました。ちなみにあまりにも学校はとにかく窮屈だったので、小学校から高校まではとにかくサッカーしかやっていませんでした。サッカーでは自由にのびのび出来るので、とにかくここだけ極めて行けばなんとかなる、と思っていたのです。

北海道からカリフォルニアへ

IMG_6420サッカーに思い切り取り組んで、さあ大学、となったときに、自分は英語という新しい分野に挑戦してみよう、と思うようになりました。大学では英語をとことん勉強したいと思い英文科を受けたのですが、見事に全部落ちてしまいます。結局、入学したのは経済学部でした。それでも入った後は自分で独学で英語を勉強して、英語のテストで学内でトップをとりました。それが認められて、学内で転入して英文学科に入ることが出来ました。英文科にうつってから、優秀な成績を収めたことで奨学金をもらって、半年間カリフォルニアの大学に入ることが出来ました。

英語をこれでとことんつきつめられる!とすごく嬉しかったのもつかの間、実際にいったアメリカでは璧に自分のコミュニケーションがとれず、色々と悔しい思いもしました。また日本の勉強よりもアメリカの大学の方がチャレンジングでした。半年間のアメリカ留学では絶対足らない、と思いました。なんとか出来ないかな、と思っていたのですが、アメリカに残る方法が見つからない。そんなとき、シカゴを一人旅をしていたら、
町でたまたま出会った日本人のおばさんにひきとめられて、その人の引っ越しの手伝いをすることになりました。全くの他人の方なのですが、特にやることがなかったので御手伝いをしたのです。その引っ越しの後に、カフェでおばさんとお話をしていると、日本の大学の単位を移してアメリカの大学に編入出来るということを聞いたのです。これが自分の人生の転機になりました。あのおばさんには今もとても感謝しています。両親の大反対をうけながらも、私は日本の大学をやめて、アメリカの大学に編入しました。

世界のために何かしたい!

ミネソタ大学ではひたすら勉強していました。
ミネソタ大学に入学した時に、自分のこれからの人生の10年間の目標を作っていました。自分は大好きな英語も活かして、そして世界の人のためになりたい、開発途上国のために何かをしたい、と自分を駆り立てる情熱がありました。その思いを活かすのは国連だと思っていました。そこで、政治学と経済学を勉強して、在学中にはアフリカを一人旅をしたりしました。そんな中、マザーハウスの方のような人や、色々とソーシャルビジネスという分野で、社会の変革に挑戦するという人がいるということを知り、国連だけがチョイスではないのかも、という思いを持つようになりました。そこからです。私がビジネスに興味をもちはじめたのは。

自分は就職活動をせずに、すぐに自分でビジネスをしよう!と起業にチャレンジをしました。ビジネスプランを練ったり、1人で体当たり営業をしたり、大使館や色々な役員の人に会いに行っていたり、乗り込んでいきました。自分の行動力を最大限活かして、今考えるとすごいなと自分でもおもうことも多いのですが、とにかく頑張りました。でも、結局毎回相手にされず悔しい思いをしていました。こんな中、やはり自分はすぐに起業は難しいということを思い、まずは修行をしようということでビジネスコンサルタントの会社に営業職で入りました。
いざビジネスの場所にしっかりと身を置く中で、自分の中で、まだビジネスなのか、国連や開発業界といわれる分野なのかと迷い始めました。

その後、ご縁があって、国連大学の地球環境パートナーシップ会議というところではたらかさせて頂くことになりました。この機会は自分のビジネスなのか、開発業界なのか、ということを考える良い機会になると同時に、色々なNGOの方に会い刺激をうけながら、更に混乱していくことになりました。
自分の軸が定まらないまま、色々と挑戦しようとすると、焦りがばかりがつのって目の前が見えなくなりました。そんな中、一度北海道に戻って頭を整理することにしました。

自分の情熱の活かす先を模索する中で・・・

北海道に戻った時には、世界の人のためになりたい、という自分の情熱をどのように活かすべきか分からなくなり、とにかく自暴自棄になりかけていました。もうどこでもはたらければよいか、という思いで受けていたある面接で「もう一度頑張りなさい」と面接官の人に叱咤激励されました。そこではっとして、改めて自分のパッションに立ち向かうようになりました。あの面接官の人には今でも本当に感謝しています。

そこからですね。改めて自分の情熱に火がついて、とにかく1日何百社と調べるようになりました。この時には、自分のやりたいことのキーワードが見つかり始めていました。大学の時に貧しい人のための援助というところで、仕事というところに興味を持つようになって、仕事探しに関わるころに行きたいという思いがありました。人材業界のビジネスだ!そういう確信がありました。そこで、外国人、人材、かつベンチャーというキーワードで探していました。そこでアクティブ・コネクターに出会ったのです。代表の松本の記事を全て読みました。松本が発展途上国に思いがあったということをみて、こういう人とだったら、一緒に出来そうだ。自分自身がこの会社なら輝けるのではないかと思い、応募しました。

アクティブ・コネクターとの出会い・思い

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自分はまだ経験も浅いですが、色々な側面から会社に貢献していると自信があります。ベンチャーなので、まだまだ色々なところから改善すべきことがたくさんあって、私はどんなに小さなことでも、一つ一つ会社を良くするために提案して実行しています。例えば、オフィスの汚さが目についていたので、皆が気持ちよく仕事ができるように掃除機を購入して掃除をしたり、部屋の客間をつくる工夫をして仕切りを購入するところから始まり、今では代表が1人でずっとやっていた営業を仕組みづくりをするという重大任務を引き受けています。営業先での採用コンサルティングも行う等、色々と実績を作ってきました。

アクティブコネクターのチームメンバーはみんな明るいので、一緒にはたらきながらとってもエネルギーをもらっています。みんなポジティブに、尊敬しあっているところがすばらしと思います。将来はアクティブコネクターで、外国、特に発展途上国での新規事業開発をまかされるようになりたいと思っています。私は絶対にこの会社を大きくして、ビジョンを大きくかなえて行きたいと思います。会社を一緒に大きくする人に入ってもらいたいと思います。

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