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インタビュー:Shamsul(コンサルタント、ニュー・ベンチャー・ストラテジスト)

子供時代はスポーツと勉学

私はマレーシアのクアランプールで生まれました。2歳のときにオーストラリアに引越しをして、渡豪後は中学卒業までメルボルンに滞在しました。9年生からの数年間は父の都合で、マレーシアに戻ったのですが、大学はオーストラリアで行きました。

小学生の頃は典型的なスポーツ少年で、放課後は、毎日クラブチームに通う友達とサッカーやバスケットボール、陸上競技などをして過ごしていました。少年時代の夢はサッカー選手になることで、高校生の頃にはキャプテンを務めたこともありました。しかし、両親が教育にとても力を入れていたため、サッカー選手になるという夢を追うことはできませんでした。

好きなことを見つけた大学時代

オーストラリアの大学では、両親のすすめからBanking and Finance を専攻しましたが、もし自分で選ぶことができたとすれば、コンピューター・サイエンスを専攻していたと思います。自分が本当に勉強したいことをできないという悔しさから、私は学校外で自分の好きなことに挑戦するようになっていました。例えば、カスタマーサービスで働いたり、美容院でヘアースタイリストのアシスタントとして働かせてもらったりしていました。

また、今の妻(日本人)との出会いも大学時代のことでした。大学修了後は、真っ先に日本へ渡りました。彼女と籍をいれるためというのが一番の理由ですが、その影には、厳しい両親から解放されたかったという思いもあると思います。

ゼロからのスタート

日本に来た当初、日本語のできなかった私は英語講師をしていました。はじめは幼稚園で務め、その後は小学生・中学生・高校生を対象に指導をしてました。それから大人対象の英会話講師となり、最終的には関東エリアで働く、150人の講師をマネジメントやトレーニングを担当していました。

英語講師をしていた当時は、より稼ぎのいい安定した職に就きたいという向上心を常に持ち続けていました。そんな中でたまたまアクティブ・コネクターのことを知りました。インターネットで会社のビジョン・ミッションを見て、心から共感したことを覚えています。そして、気がつけば転職を決意していました。

本当にやりがいのある仕事

アクティブ・コネクターでは、情熱やスキルをもった外国人が仕事を見つられるように、日々活動しています。

今の私のゴールは、

1、日本企業に「本当のダイバーシティー」を理解してもらえる手助けをすること

2、候補者に日本企業の傾向を理解するためのツールや知識を提携すること

3、外国人がすみやすい環境づくりをしていくこと

です。

このゴールを達成させるためにも、これからもチームワーク抜群のメンバーたちと、協力し合いながら活動していきたいと思います。

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